地方の中高生に多様な学びの機会を|教育プランナー 羽田野祥子さん

お話をお伺いしたのは、教育プランナーの羽田野(旧姓 川原)さん。
八代ご出身で、現在は宮崎で活躍されています。

高校生に関わる活動を行うまほろばとしては、羽田野さんはとても気になる存在。
一度「八代まほろば会議」にご参加いただいて以来、取材で久しぶりにお話でき、大変うれしい時間でした♡
八代から羽ばたき、アクティブに活動されている羽田野さんの熱い想い、必見です!

 

羽田野さんについて

八代で生まれ育ち、現在は宮崎県にお住まいの羽田野さん。
八代高校をご卒業後、大学進学のため上京。
途上国の経済支援や開発経済に興味を持たれ経済学部へ進学後、だんだんと人材育成に興味を持つようになり、社会学のゼミでキャリア教育についての卒業研究をされたんだとか。

そんな大学生活の中で没頭されたのが“NPO法人アイセックジャパン”での活動。

NPOアイセック・ジャパン

アイセック・ジャパンは、126の国と地域で活動する世界最大級の学生組織AIESECの日本支部として、海外インターンシップ事業を運営する団体です。
1962年に設立され、現在では国内25の大学委員会が活動しています。日本では特定非営利活動法人(NPO法人)の資格を取得し、国内の学生や法人様に対して海外インターンシッププログラムへの参加を提供しています。

http://www.aiesec.jp/

 

ーー国際協力への関心から、現在のキャリア教育の仕事に至るまで、どのような変化がありましたか?

アイセックに入ったとき、大学生だけでこれだけの事業を運営しているということに、かなり衝撃を受けました。
実際に企業に電話でアポを取ってインターンシップ受け入れのお願いをしに行ったりとか、入国管理局に来日するインターン生のビザを申請しに行ったりとか、そういうことも自分たちでやっていたんです。
アイセックは、海外インターンシップを通じて社会を変えるリーダーを育てる、ということを目指していて、そこから人材育成や、教育を通じて社会を変えるということに面白さを感じるようになりました。私は海外インターンシップ自体には行かなかったのですが、世界中の大学に支部があるので、様々な学生と同じ目標に向かって一緒に活動することで、自分自身もものすごく成長できた感覚がありました。

高校生までも、結構活発に部活、委員会、ボランティアなどをやっていた方だったんです。すごくやっていたはずなのに、東京で得られた経験や学びはその比じゃなかった。
情報化社会って言って色んな情報が地方にいても入るようになりましたが、得られる経験とか広がる人脈って、やっぱり東京とか都会に行かないとないものってあると思います。じゃあどうやって地方にいる子どもたちや若者にも、東京に負けないような学びの、経験の機会を作れるのかっていうのが、今の活動に繋がっています。

 

ーー大学卒業後、東京ではどんなお仕事を?

最初は企業の新卒採用や社員研修など、企業の人材育成に関わる仕事をしていました。
その中で、就職活動がうまくいかない大学生の面接やエントリーシートの指導の仕事があって。
私が指導をしていたのは、名の通るような有名大学で、だけど就職活動がうまくいっていないという学生だったんですけど、自分がやりたいことは特にないし、自分が何が好きで何が嫌いかわからないっていう状態。その状態で就職活動をするって結構厳しくて、エントリーシートを上手に書こうが、面接を上手にしようが、最終的に受かることは難しいし、受かっても続けることは難しい。
そのときに、就職活動の時になって初めてそれが問われること自体が問題だと感じて、もっと前の段階から支援したいと思うようになりました。

 

東京でのキャリアを経て、現在宮崎県に移住されて3年弱。
フリーランスで、行政の業務委託なども受けながら、教育プランナーのお仕事をされています。

  

八代で過ごした幼少期〜高校時代

現在、中高生への社会教育に携わっていらっしゃる羽田野さん。
まずはご自身はどんな幼少期・学生時代を過ごされたのか、お伺いしました。

 

ーー幼少期から学生時代まで、八代に住まわれていたときのことを教えてください!

小さい時ときには色んな経験を親にさせてもらっていました。
習い事は、習字・ピアノ・英語・水泳…やりたいって言ったらだいたいさせてもらっていました。弟がボーイスカウトに入っていたので、キャンプには私もついて行って。
高校1年生の夏休みには1ヶ月間、アメリカにホームステイをするプログラムにも参加しました。
それから、小中高で図書委員をやっていました。
とにかく本が好きだったから、みんなにもその魅力を伝えたいっていうのがすごくあって、自主的に活動していました。中学生のとき、いっぱい借りた人を表彰するとか。今思えば発想が安易なんですけど…(笑)
高校は八代高校に進学。
演劇部、卓球部、文芸部と部活は3つ入っていました。本当はどうだったかわからないけど、なぜか3つまで入れるって思っていて。
聞くだけの授業はあまり好きじゃなくて、課外活動とか調べ学習とか自由研究とか、自分で答えを見出していくことや、決められていないものを自分で作っていくっていうのがすごく好きでした。

色んなチャンスを見つけて一人でも飛び込む行動力みたいなのを幸い持っていたから、八代でも比較的活発だったかなって。親の理解もあって、環境も恵まれていたんだと思います。
でももっと色んな選択肢があったらいいなと思うし、自分で情報をキャッチして行動するまでの力はないけど、ちょっとくすぶっている子たちを押し上げる場っていうのももっとあるといいなと思っています。

 

今日ほど身軽な日はない

幼少期からずっと活発で、東京に出られてからはさらに幅広く多様なことを経験されたことがひしひしと伝わって来ます。
そんな場所を離れ、移住に至った経緯が気になります。

 

ーー東京を離れ、宮崎へ移住されたのはどんな経緯で?

東京を離れたのはちょうど30歳のときだったのですが、理由は大きく3つあります。
1つ目は、20代全部使って東京でチャレンジしてみたいことは結構やりきったなって思ったこと。
2つ目は、その頃に父を亡くして、ひとりで八代に住んでいる母親の近くにいた方がいいかなと思うようになったこと。
あともう1つは、東京の生活環境ですね。よく言われるような満員電車や、家賃の高さといったことですが、20代までは、そのデメリットを上回るくらいのメリットを感じていたんですよ。学びの機会は多いし、やりたいことは全部できる。でもやりたいことをやりきったら、デメリットの方が上回っちゃって、それで東京を離れようと思い始めました。

最初は熊本に帰るつもりで仕事を探したんですけど、なかなかピンと来るものがなくて、元上司に相談したら「九州だったら今、日南市がおもしろいよ」って教えてくれました。実はその2ヶ月くらい前、GWに帰省したときにたまたま母と二人で旅行で訪れていて。それで、これも縁かなと、日南に移住しました。

 

ーー慣れ親しんだ土地から離れ、さらには全く知らなかった土地で暮らすって、勇気がいるように思うのですが、割とズンズンいけちゃうタイプですか…?

直感でピンと来たらズンズンいけますね!ピンと来るまでは色々と調べたり、人に相談したり、時間をかけるんですけど。
移住を悩んで相談したある方に、「今日ほど身軽な日はないよ」って言われて。つまり、1日1日そこで過ごすごとに、人との繋がりは強くなるし、仕事の責任は重くなるし、その地域への愛着が湧いてくる。どんどんどんどん身軽さは失われていく。だから常に今日という日が一番身軽なんだって言われて、なるほど!と。

 

本気にしないと学びは生まれない

ーー現在のお仕事の中で、多様な高校生に対してどのような経験を提供するか、羽田野さんが重視されているのはどんなことでしょうか?

私は、“本物に触れる”っていうことを大事にしています。作られた感のあるものって、中高生でもそれを察知すると思うんです。「あーこんな感じね」「こういう感想を言ってほしいのね」って。でも、本気にならないと学びは生まれないだから本気を引き出すために、できるだけ本物を用意します。

 

にちなん起業体験プログラム

中高生が「起業家」となり、本物のお金を使って自分たちで事業を立ち上げる社会体験プログラムです。事業計画を立て、元手となるお金(出資)を集め、商品を準備してオンラインショップを経営します。

https://kigyo-taiken.info/

今取り組んでいるの「にちなん起業体験プログラム」でも、まさしく本物を大事にしています。実際に社会との接点を持つこととか、本物のお金を使ってビジネスをすることって、めちゃくちゃ学びになると思っていて。
この起業体験プログラムは、20人の枠で、参加したい・意欲がある子たちだけが参加する形になっているので、負荷が高いことができます。

学校では全員に同じ機会を提供するということが優先されます。それはそれで価値があると思うのですが、それだけだと物足りない子もいると思うので、そういう部分を地域や社会が補う必要があると思います。

中高生が地域や社会と関わる上では、そのまちに自分の居場所や役割ができるかどうかっていうことも大事です。
「誰でもいいけど手伝ってくれて嬉しい」だったら、多分続かないと思うんです。「◯◯ちゃんがいてくれるとめっちゃ盛り上がるわ!」って言われたら、また来ようって思うし、そこで頑張ったらさらに新しいものや価値が生まれる。
だから、本人がそういうものを発揮できるかっていうことと、地域の人がひとりひとりを見てあげられて、ひとりの人として接することができるかが大きいのかなって思っています。

 

日南市の魅力ー住民の歓迎ムード

ーー日南市に移住しお仕事をされる中で気づいた、日南市の特性ってありますか??

移住してきた人に対して「来てくれてありがとう」って言ってくれる。これはすごいことだなって。
おそらく多くの地域においては、「こんな何もないところに何しにきたの?」って言うことも多いと思うんです。でも、移住した人は選んでそこに来ているわけなので、否定された気持ちにもなります。「ありがとう」って言われたら、それだけ歓迎されているって感じることができる。宮崎や日南ではそういう場面が多いなと感じています。

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最近、家庭の都合で宮崎市へ引っ越し。日南の友人たちが送別会を開いてくれました。

それから、日南市に興味を持ったのは、先ほど言った縁もあるのですが、地域として面白そうというのもありました。
日南市は商店街の活性化やIT企業の誘致など様々な施策で全国から注目されていますが、その改革を推進したのが当時33歳の若さで就任した市長(現在は2期目で40歳)です。
私はその市長というより、そんな若い市長が選ばれたことが面白いなって思ったんです。まだまだ年功序列や人脈の影響が根強い地方の、しかも政治の世界でそんなことが起きた。それだけ、日南をどうにかしようって思う人たちがいて、ちゃんと投票っていう行動を起こしたり、他の人にこの人に入れてよって声をかけたりした結果として、33歳の市長が生まれたのだと私は捉えています。

そういう、まちをどうにかしよう・変えたいって思って行動する機運があるまちなんじゃないかなっていうのは行く前から感じていました。

 

自分のいる場所を選ぶことについて、「人って必要とされるところに行きたいと思うんです。」と羽田野さんは仰っていました。
中高生の地域に対する“居場所”・“役割”の感覚と同様に、大人も「自分だからこそ必要としてもらえる場所」を求めるのかもしれません。
宮崎で暮らし、お仕事をされている中で、「ここが自分の居場所だ」とどんなときに実感されるのか、お聞きしました。

 

ーーひとりの住民として、お仕事において、歓迎されている・必要とされているという感覚はどういうところで実感されますか?

私は知り合いがほぼ誰もいない状態で日南に来たので、最初は夜とか土日とかめちゃくちゃ暇で…。最初の1ヶ月は暇すぎて、アマゾンプライムで気づいたらアニメを200話見ていました(笑)
それくらい友達がいなかったのに、ちょっとずつ仕事関係の飲み会や地域のお祭りに行っているうちに、知り合いが知り合いを紹介してくれたり、色んな場への誘いをくれたりするようになって。数えてみたら、移住1年目で100回飲み会に参加していました。そんな風に受け入れてもらえるのって本当にありがたいです。

仕事の上では、移住して半年くらいのときに立ち上げた「ジョブシャドウイング」っていうプログラムをやったときに実感できたことがあって…

ジョブシャドウイング

ジョブシャドウイングは、中高生が働く大人に影(シャドウ)のように密着し、働く様子について観察する教育プログラムです。アメリカでは、600万人以上の中高生が参加していると言われており、日本でも様々な地域で行われています。
インターンシップや職場体験は、仕事を「体験」して、どんな仕事なのか知ることがメインですが、ジョブシャドウイングは特定の大人にくっついて、一日かけて「観察」します。その中で、「働き方」や「生き方」について少しでも感じてもらえたらと思います。

http://machino-jobshadowing.info/

このプログラムを宮崎市内で実施している団体の方と知り合う機会があって、日南市でもやりたいと思って始めました。
企画書1枚書いて持ち歩いて、飲み会でも「どう思いますか?」って話すうちに、直接OKしてくれたり、紹介してくれたりして、受け入れてくれる人が20人も見つかりました。
私自身も含めて誰もやったことも見たこともないのに、「地域の子どもたちのためになるなら」って言って力を貸してくれる。
それが実現できたのは日南だったからかなって。

 

ーーやっぱり行動力ですね…できたらいいなと思っても、実現まで持っていく行動力がすごいです。

それはもう外堀を埋める!やるって言っちゃう!それで「面白いね」って言ってもらえたらモチベーションになるし、言った人を仲間として巻き込んでいきます(笑)

 

ご自身のキャリアに誇りを持ちながらも、これからも新たな情報や教育の形をキャッチアップしていこうという姿勢、スピード感や行動力に脱帽でした…
私たちも羽田野さんに学びながら、高校生に向けた地域活動をますます頑張りたいなと気の引き締まる取材の時間でした。

これからの羽田野さんのご活躍を楽しみに、応援しております!

 

 

※この記事はご本人へのインタビューをもとに作成しております。

コメント

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