光るものを見つけ、伝えたい|やつしろぷれす編集長 江崎博美さん

今回お話をお伺いしたのは、みなさんご存知『やつしろぷれす』の編集長、江崎さん!
まほろば1期メンバーは高校生の時に江崎さんに出会い、ご一緒させていただいた活動は、八代まほろばかふぇプロジェクト始動のきっかけとも言えるようなものです。

普段は取材で聞き手の立場にいらっしゃいますが、今回は話し手となって隅から隅までお話しいただきました♡

江崎さんの生い立ちと『やつしろぷれす』

八代市古城町で生まれた江崎さん。
高校時代までをずっと八代で過ごされ、大学はキャンパスに一目惚れをして長崎の大学へ。
ご家族は父は教員・母は市役所職員と、共働きの公務員家庭。
お母さんがずっと家にいる家庭に憧れ、「私は絶対いいお母さんになるんだ!」と意気込んでいたそうですが、今では親御さんと同じく、バリバリ働く大人に!
山あり谷ありのキャリアを経た末に、現在の(有)ビーエス広告社でのやつしろぷれすのお仕事へと至ります。

江崎さん(中央)とまほろばメンバー古川・前田

 

やつしろぷれすは2017年5月に発刊がスタートし、現在3年数ヶ月。
江崎さんは初号からずっと編集長を務めていらっしゃいます。
きっかけは、その前のお仕事を辞めることを決意した1週間後、運命的なタイミングでやって来た今の会社の社長からの連絡。

「八代で情報誌を作りたくて、手伝ってもらえませんか?」

これは渡りに船だと(思いつつ、大変な仕事だと分かり切っているので2〜3週間考えた末)、引き受けることに。

やつしろぷれす

やつしろぷれすのコンセプトは、‘八代をもっと好きになる‘「まち」の活性化の根本は、その「まち」に住む人の「まち」への愛情の深さにかかっているのではないかと考えています。そこで、八代に住むたくさんの方々にやつしろぷれすを読んでいただくことで、八代にはこんなお店があったんだ!こんな人がいたんだ!こんなにみんな頑張っているんだ!こんな場所があったんだ!と、新しい八代の魅力を発見し、再確認していただけたら・・・という願いを込めて作って行きたいと思っています。大切にしたい、ふるさとのまち、八代。もっともっと、輝くまちになるような情報を発信していけたら嬉しいです。

発行部数:50,000部(ポスティング32,000部/設置18,000部)

https://www.8-pre.net/

ーー現在のお仕事はいかがですか??

楽しいです!!
やった分だけ返ってくるし、やらんならダメだし、全部自分に帰ってくる。読者の声をダイレクトに受け取れるのも、ものすごくやりがいがあります。
だから、ずっと続けていけるなっていう気がしています。来年はこうしよう、3年、5年経ったらこうしようとか、先のことまで思い描ける。自分で作っていくことが本当に楽しいです。

写真をチェックするやつぷれスタッフのみなさま

ーー色々なメディアがある中で、やつしろぷれすのこだわりはありますか?

やつしろぷれすは最初、30代半ば〜40代半ばの子育て世代の女性をイメージして作り始めました。
もちろん気持ちとしては、若い人からばあちゃんじいちゃんまで、みなさんに見てもらいたい!!
30〜40代をコアターゲットにして作ることが、ひいてはその周辺の世代にも波及するのではないかと考えて。実際にこれまでの読者は、20代・30代・40代・50代がほとんど同じ比率なんです!

それから、紙であることにもこだわりが。
印刷会社にいた時代から、紙が好きで。遊ぶことも堅くすることも表現できるし、温かみと説得力があると思っています。
どんどんネットにシフトしていくし、八代の同じ業種の方ともよく「どぎゃんね、大変よね」って話をするんです。それでもいいものだったら見てくれると思う。これからどうなっていっても、私は100部でもいいから紙を出します!!

だからと言って、新しい方法を取ることも疎かにはできません。
オンラインツールの活用を充実させることは緊急課題です。
まほろばがやっていたようなインスタライブとか、私たちもせなんかなとか(笑)

 

ーーやつしろぷれすのお仕事の中で発見した八代の個性はありますか?

八代のいいところはなんと言っても、やっぱり人がすごい。
私がすごいと思う人に一貫してあると思うのは、そのことに向かう姿勢。それに対してどこまで真摯に取り組んでいるかっていうその姿勢に心打たれる。
特に『やつしろの働くひと』というコーナーでご紹介している方たちとか、みなさんすごく素敵でいつもびっくりする!!
八代がより輝いて見えるようになりました。

2018年7月号『やつしろの働くひと』のコーナー

 

あとは、知らなかった世界をいっぱい知ることができた
消防団の取材でお話しした方たちは、普通のおっちゃんたちなんだけど、消防の規律みたいなものをしっかり分かっていて、「そういう部分をみなさん隠し持って生きているのね」みたいな(笑)

2019年11月号 巻頭特集「我ら、消防団」

 

そういうのを知るとますます尊敬するし、「人って侮れない」っていうことに気付かされる。自分ももっと頑張らないとって思いにさせられます。

 

死ぬほど働き、鍛えられたキャリアの一歩目

さて、ここからは江崎さんのキャリアの原点へと遡ります。
とにかくタフに丁寧にお仕事をされているイメージですが、その働き方の基盤はどこで作られたのでしょうか。

 

ーー最初に勤めた会社はどのようなところでしたか?

今思えば死ぬほどブラック!!
と言いつつ、そこには15年いました。
社長は超カリスマ性があって、著名な方と繋がっていたりもして、そのおかげで熊本の小さい印刷会社ながら、全国展開の会社の本社などからの大きい仕事もあって、刺激が多くてとにかく楽しかったです。
今の自分があるのは、そういうハードでスパルタな学校みたいな会社に入って鍛えられたから。小中高大とポケーと生きてきたのに(笑)

 

ーーそこではどんなお仕事をされていたんですか?

まず最初は、デザイナーやコピーライターなどがいるスタジオ部門に所属。
観光パンフレットの制作や行政の仕事を受けて、まさに印刷物を作っていました。
その部門に2年くらいいた後、社長が広告代理店を作ることになって、「お前は営業が絶対に向いている」と言われて営業をすることに。
実際、だんだんのめり込んでいきました。契約とれたりするとすごい快感たい!!
ただ当時、営業は完全な男社会。女性だからってすごく舐められる。嘘をつかれたり、お客さんに出し抜かれたり。
それで悔し泣きしていたら、社長が話を聞いてくれて。その社長は絶対に社員を守るんです。ヤクザの親分気質。話を聞いたらすぐにその相手に電話をして呼び出して、「うちの社員をバカにするやつらとは付き合わんでいい!」って怒ってくれて。
そういう飴と鞭みたいなのがあったから、15年もその会社にいたんだと思います。そういう姿勢がすごく好きでした。自分も次の子たちにそうしなくちゃって思うし、守っていかないとって気持ちになる。
女性がいない中で、本当に大変だったけれど、人がよく見えるようにもなりました。

 

ーーその会社を辞めたその後は?

土日もなく365日働いているような状況だったからクタクタで、1年間は何もせず八代に帰ろうと決めました。
それで八代の実家に帰って来て、アメックスに入り浸って、疲労骨折するくらいずっと運動して(笑)
3ヶ月くらい経った頃、以前いた広告代理店の取締役だった方から電話が。「仕事せんか!会わせたい人がいる!」と言われ、それでお会いしたのが、(株)桃(以下、MOMO)の代表である浜島さん。

株式会社 桃(MOMO)

私たちは、人の心を桃色にする仕事に励みます。
▼事業内容▼
・熊本美少女図鑑オフィシャルプロダクション
・芸能人・文化人キャスティング
・司会者・ナレーターキャスティング
・セミナー講師キャスティング
・各種イベント・セミナーの企画運営
・パーティープロデュース
・各種メディアの企画制作
・ウェディング事業
・タレント派遣&マネジメント …and more

https://www.momo-j.net/

その時MOMOは、リニューアルした本町アーケードのオープニングセレモニーの仕事を受けていて、「江崎さん、八代にいるならその仕事をしませんか?」と。
これもご縁だからと引き受けて桃に入社。そこで本町商店街に関わることに。

リニューアルされた後、現在の本町アーケード

 

何年か経つとやっぱり広告代理店の仕事がしたくなって、それからは独立しました。
ひとりで『アドシンシア』という屋号を作って仕事を始めたら、商店街の方たちが、直接契約したいと言ってくださって。
そうして商店街とのお付き合いが続きました。

 

さらに商店街に入り込むことに…

ちょうどその頃、行政のまちなか担当の方から、中心市街地活性化協議会(以下、中活)の仕事を受けてもらえないかと連絡が。

中心市街地活性化

基本計画の内容
1.計画期間
  平成19年5月〜平成24年3月(4年11月)
2.目  標
  (1)中心市街地の賑わいを取り戻す
  (2)街なか居住の促進
  (3)中心商店街の活性化
3.事業内容
  目標を達成するための取組みとして、市街地の整備改善のための事業、都市福利施設を整備する事業、街なか居住促進のための事業、商業の活性化のための事業等ハード、ソフト併せて36事業を実施しました。

八代市の中心市街地活性化に関する取り組みは、八代市中心市街地活性化協議会を中心に検討、実施しました。

https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kiji003698/index.html

中活の5年計画のうち3年が終わり、残りの2年のときに入りました。
そこでまちづくりと出会うわけです。

やってみたら…常に数字を追いかけてきた者としては、とにかくぬるい。明確な目標が定まっていなくて。(そう思うのは、まちづくりのことが分かっていなかったというのもあるんだけど…。)
何をもって達成したと言えるのか。どこまでいけば私は仕事としてOKなのか。
そんなことを思って、「これをやっていけば、いいところまでいけるだろう」と自分の方針・ビジョンを作りました。

しかし、それがまだ道半ばの時、中活が終わる時期に。
その後は、商店街の振興組合の理事長たちが、中活の後に立ち上がったまちなか活性化協議会(以下、まち活)に残ってくれと言ってくれて、じゃあまだやれるんだ!と。
そこからはすっかりまちづくりのことばっかりです!

以前まち活の事務所があった「たまりんば」にて

 

商店街活性化の仕事への思いとビジョン

ーー明確な指標がない中のお仕事、江崎さんはどんなことを感じていましたか?

周りには「江崎さん、そんなに色々やらなくていいよ。」みたいなスタンスの方もいらっしゃって。
中活の時には一緒にやっているんだと感じられるような方たちがいたけれど、担当者が変わるとそうは感じられなくなったり…孤独を感じることもありました。
まちづくりや地域活性化は、まちの人たちが同じ方向を向かないと難しいことなので。

それでも、最初は気持ちも興味もなかったのに、まちの人たちと交流するうちに、「この人たちを放っておけない」となってくる。
ここを見捨てるわけにはいかない、その一心でやっていたみたいな感じです。
商店街の人たちって、その人を知れば知るほど、みんなすごく優しいし、思いやってくれるし、なんて私は恵まれてるんだろうってずっと思っていました。
だから、手助けできるような立場にいること自体にモチベーションを感じられたというか。その人たちの役に立つことが自分の仕事だって思っとったけんね。
なんだかんだ楽しかったです。

まちの方々とイベントに向けて海岸の砂を集めに!アーケードに人工ビーチを作ったそう!

 

ーー江崎さんがご自身の中で持っていたビジョンはどのようなものだったのでしょうか?

最終的にはまちづくり会社のような組織を作って、自主運営できるようになるっていうのが目標にあって。補助金頼みはあとあと立ち行かなくなるから。

そんなことを考えている中、当時の振興組合理事長のご提案で、『テクテク歩こう商店街』という事業がスタート。

テクテク歩こう商店街

歩数のランキングで商品券が当たる仕組み、会員になるだけでプレゼントがもらえたり、計測に来るたびに割引が受けられたりする。

https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/monozukuri300sha/shoutengai30/2014/S27.pdf

この事業は会費などで収益が上げられる。ゆくゆくはまちづくり会社をもう一度作ることができるかもしれない。そんな思いでした。
私は収益を貯めることで、人を増やしたかった。まちづくりなんて、人がいないと。
でも、お金が貯まった頃に「人を入れましょう」と提案したものの、人にコストを割く重要性が伝わらず…。とにかくお金を稼いで人を入れて、マンパワーで変えていけるようにしたかったんだけど、難しかったですね。

 

まちづくりに関わったから今がある

それまでの仕事とはガラッと色の違うまちづくりに足を踏み入れ、悶々とすることもありながら、まちと向き合い、人のためならと頑張っていらっしゃった姿が浮かびます。
まちなかでのお仕事は今の江崎さんにどのように繋がっているのでしょうか?

動画「恋するフォーチュンクッキー八代本町アーケードVer」江崎さんを見つけてください♡

まちづくりに関わらせてもらったから今がある、それなくして私は絶対やつしろぷれすを作れない
そう思っています。
まち活・中活で合計7年間まちづくりで色んな人や、商店街・まちのことに関わらせてもらったから、もういっぱいポケットに色んな引き出しができています。
だからもう感謝しかありません!!

やつぷれを作りながら思っている、「何かいいところを見つけたい」っていうのは、商店街にいた当時にどのお店に対しても思っていたことで、そういうところを探すのが好きでした。
どのお店にもなんかあるわけよ、キラっと光るものが。今の仕事の中でも、それを見つけた時にほくそ笑むというか(笑)みんなに言いたい!発信したい!
その感覚は、商店街で鍛えられたんだと思います。

 

ーー最後に、これからについて、思い描いていることはありますか?

私は本当にワーカーホリックで、なりふり構わず、仕事に没頭してしまうんです。
それで、大切にすべき人に時間を使っていなくて、大切にできていないなって最近思っていて。
ふとそんなことを思うものの、やっぱり仕事は裏切らないんですよ。仕事はやった分だけ返ってくるし、やればやるだけおもしろい。
私は新入社員の頃から、「仕事で人生を豊かにして、仕事をやり遂げることで自分自身が成長できる」って、ずっとそんなことを言っていました。結局、自分がやりたいからそういうふうにやっていて、どこかでその生き方に納得しているんですよね。

これからもバリバリ仕事をしながら、ゆっくりしようと思える時が来たら、大切な人やものとの時間ももっと楽しみたいなと思います。

江崎さんの大切な愛犬ぴーちゃん

 

 

※この記事はご本人へのインタビューをもとに作成しております。

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